「あのさ、ショーゴくんの『持ち味』って何?」
この前行きつけの美容室に行ったとき、美容師のノリちゃんに聞かれたこと。
最近、お客さんに「持ち味」を聞くのがブームらしい。
実際聞いてみると、その人の人間性や価値観なんかがいろいろとわかるんだって。
即答する人、長考して捻り出す人、わかんないと言って考えることを放棄する人……
ちなみに僕は即答だった。
「物事を整理するのが得意ってとこかなぁ」
採用活動で人事が就活生によく聞くこととして「強みと弱み」「得手と不得手」なんかがあるのだけど、そういえば「持ち味」ってあまり人から聞かれることないなって思い。
僕はその日から「持ち味」っていう言葉が何だか気になっていた。
「持ち味」って何だろう?
そもそも「持ち味」って日本語の意味としては何を指しているのか。
辞典で調べると以下のように書いてあった。
〉作品や人物などが持つ、独特な味わい
goo国語辞典より
独特な「味わい」。
何だかわかるような、曖昧なような。
じゃあ、「味わい」とは。
〉趣。妙味。
goo国語辞典より
じゃあ、趣とは……ってキリがない。
ただ、持ち味ってはっきり割り切れるようなものじゃないってことはわかった。
僕は元々、趣やわびさびといった、感性と情緒を大切にする日本の伝統的な価値観が好きで。そう考えると「持ち味」って、ある意味あいまいな、でもあたたかみがある言葉で日本人の感覚らしいなーって思いました。
普段仕事をしていると、どうしても考えちゃうのは「意味のあること」と「成果に繫がること」ばかり。曖昧なことってビジネスの場面では否定されがちだから。
でも「持ち味」のように、曖昧ともまた違う、あえて「ふわっと」している言葉の良さってあると思うんですよね。
「評価」とは他人がするもの
「自分は◯◯な人です」
面接をしていると、この言葉と本人が全然違う人によく出会います。
明らかに内向的なのに、自分のことを「気さく」「人見知りしない」と表現する人とか。
そういう人と出会って感じるのは、この人は友人が少ない、または他人に「自己開示」していない人なのかなぁということ。
なぜなら、
評価は自分がするものではなく、他人にされるものだから。
社会における自分とは「自分がどう思うか」ではなく「他人にどう見られているか」がすべてです。良いとか悪いとかの話ではなく、それが現実。
自分が他人からどう見られているかを理解していないということは、他者との交流がなく、自分のことを話していない人ということかなと思います。
持ち味とは、ある意味「自分が何者なのか」とイコールです。
でも、ここで言う「自分」とは「自分が思う自分」ではなく、「社会における自分」のことを指しています。
つまり「持ち味を理解している人=周囲と積極的に交流し、自己開示している人」ということですね。
「持ち味」が仲間とチャンスを引き寄せる
持ち味について考えてみて思ったこと。
あのとき、ノリちゃんに話した僕の持ち味は「持ち味」というより、スキル的な「得手」に過ぎなかったなぁ、って。
持ち味とは、その人が自認する強みや得手じゃなく、その人の外見や雰囲気、物腰などから醸し出される「他人から見たあなたらしさ」のこと。
初めて会った人があなたのことを魅力的だと感じたとしたら、その理由は必ずしも肩書きやスキルなどじゃなく、あなたが持つ、あなたにしかない「持ち味」かもしれません。
僕も今周りに居てくれる仲間たちと出会ったときのことを思い返してみると、肩書とかデキる人だからとかより先に、なんか直感的に気になる、とか、好きだなって思ったのが最初の印象だったなと思います。
自分の「持ち味」を理解し、魅力を深めていくこと。
その先にはまだ見ぬ素敵なご縁や機会が待っているかもしれませんね。
そんな僕自身も、味わい深い「持ち味」を醸し出せる大人になりたいなぁ、とあらためて思った今日この頃。
「話しやすくて、良い人そう」
みんなからよく言われること。だからこれが今の僕の「持ち味」なのかな。
必要以上の背伸びなんてしなくていい。
これからもっと自分のことを話し、自分を知り、深めていきたい。
皆さんもまわりの人や出会った人に「持ち味」を聞いてみてはどうでしょうか。
いろんな発見があって面白いですよ。
では今回はこの辺で。
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